ぼくは"アイ"を証明しようと思う。

数ヶ月前、ぼくは以下のブログを書きました。

 

【雑記】死にたがりの道化達へ:クラム本 - ブロマガ

 

そして、そこから先に一歩。
ぼくが今至っている"思想"の大筋をざっくりとここにまとめます。
色々と経緯はありますが、そのあたりは割愛です。
まだ、確信めいたものが得られるほどの力がまだ足りない。もっと勉強しなければ。

 

◆"生きた意味"がたいせつ
前回のブログ(上記参照)で語ったのは、"死にたければ死ねばいい"と言うお話でした。

んで、結局なぜそう至ったかと言うと、"私自身が誰かを救えないから"と言う一面だけではなく、"人生"と言う大きな流れで一生を考えて見た時に、結果として必要な事は何なのか?と考えてみると、"そこに意味があったかどうか?"が一番重要だと思ったんですよね。

 

「生きているか」「死んでいるか」と言う視点で考えるのではなく、
「意味があったか」「無かったか」と言う視点が大切と言うお話ですね。
だからこそ、"死にたければ死ねばいい"のです。

 


◆私の前提にある"思想"
"求道"と"覇道"と言う言葉を使ったり、私の前提としてある思想は、
以下の記事達がうまく表現できているのかなと考えています。

 

【アニメ/映画】"聲の形"みてきた感想とかネタバレ:クラム本 - ブロマガ

【雑記】"思考"を変えれば少し人生がラクになる:クラム本 - ブロマガ

 

 

◆"I"の証明
上記に述べた2つをあわせて、話を進めます。

"意味を求める"に当たって必要なのは、人生における刹那を輝かそう。
その場で死に至るとしても、そこに意味はあったと、後悔がないように生きよう。
そのために、私は”I”であろう。

ただ、純粋に、"私が私である"と言うことを追い求めれば、
そこに意味はきっと生まれるのではないかと思っていいます。

いつまでも「昭和の人生すごろく」のような環境や
価値観に縛られる必要など無いのです。

"I"に至ろうとする意思があれば、そこに意味はきっとある。

 

 

◆"愛"の証明
ですが、それを全員が全員やることは、なかなかに難しい。
ならば、そこに"愛"があればいい。

 

「価値を生むもの」だけでは"価値"と言うのは成立しないのと一緒で、全ての人は、ただそこに有るだけで、意味はあったと。
その人の価値観や言葉を理解することは不可能であれど"愛"を持ってして、その人魂を生き方を肯定する。

 

であれば、そこに意味はあった。

だからこそ、改めて言わせてほしい。

 

私がその"巡りくる想いに祝福を"与えるから"死にたければ死ねばいい"と。

 

 

よければ以下記事もどうぞ。 

【雑記】たった一つの冴えた生き方:クラム本 - ブロマガ

【雑記】相模原事件から考えたこと:クラム本 - ブロマガ

【雑記】瀬戸内寂聴さんの発言に思ったこと:クラム本 - ブロマガ

 

そんなかんじで。
おしまい。